おおよその話になりますが、江戸時代初期ごろより廣瀨家が続いており、私の父で第十一代目になります。廣瀨家は代々 「廣瀨 七良右衛門」(ひろせ しちろううえもん)」という名を名乗り、代々この地で稲作を続けながら兼業農家を営んでおりました。
その証が私の祖父の父親が使用していたスコップやくわ等、農具の柄に焼印された下記の印になります。
『まるにしち』は、私たちが作ったお米や野菜を皆さんに食べていただき、「お客様家族がいつまでも仲良く、円満に健康で過ごせるように」、また「七良右衛門の七= 七福等、縁起の良い数字である事柄」から名付ける事にしました。
「商店」を付けた理由は、百姓だけで終わってはいけないと考えるからです。農産品の販売を行うのはもちろんですが、それら収穫した野菜を原料に、より美味しく便利に使いやすくしてからお客様にお届けしたいという想いからです。